1/130000のbirthday cake

「なんかJK組で話した時にも言ったよね。
 私がもしいなくなったら、第二の樋口楓が生まれるのかな。
 そしたら美兎ちゃんと凛先輩が、楓さんは楓さんだから! って言ってくれたっていうね」
「そんなわけないっていう話をしたんですよ」

 

youtu.be

「御学友」の家にて、深夜に行われた配信のアーカイブ。そこには、同じクラスの家の友達の家に遊びに来て、部屋の布団にくるまりながら、一階で寝ている家族を起こさないようにささやきながら話しているような、それでも時折漏れてしまう笑い声にあわてて口をおさえ、お互いに顔を見合わせてにやにやするような気安さがある。

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 1:29:28あたりから始まる、楓ちゃんが事故に遭った時の話に耳を澄ませてみよう。おそらく学校帰りだったのだろう、自転車に乗っていた楓ちゃんは前から走ってきた車に轢かれ、その衝撃で飛ばされている間に、走馬灯を見たというエピソードが語られる。反応を聞くに、委員長もどうやら初耳だったらしい。

   その時に死んでいたとしたら、もちろん、こうして二人が会うことはなかった。
 今自分のそばにいる人のことを思う。もしかすると、その人のそばにいるのは自分ではなかったかもしれない。そこでは今まさにその人のそばにいる自分が前提とされている。ここにはいない、そうであったかもしれない自分のいる方角へと振り向こうとすることも、ウインクさえ満足にすることのできない不自由な2Dのアバタ―には難しい。
 部活であったこととか、小さい頃お父さんに髪を結んでもらったこととか……。走馬灯のうちに見たものを挙げているその声には淀みがない。だからこそ、簡単に見過ごされてしまう危うさがあったように、すでに記憶となった今では感じられる。事故があったのがいつだったのか、明確な言葉では語られない。それでも、私たちは未来の記憶を語ることはないのだから、少なくとも二人がVtuberになる以前の出来事であることには疑いがない。けれど、いつしか私の目は、画面に映る白いリボンに向けられていた。父親に結んでもらったのだという、画質の荒い、かすかに揺れるこの長い銀髪を通したものとして、イメージは像を結んだ。もう少し言うのなら、アバターの表われ方と、夜の向こうから聞こえてくる声が手を取り合った。
 一瞬のことだった。私自身アーカイブを視聴しているときに感じたのではない、ずいぶん時間が経った後で、思い浮かべられる姿に言葉を当てはめようとして、そこには距離があることに気づいた。
 別の配信の話になるが、楓ちゃんは画面の「でろーん」に向かって語りかけるような言葉づかいをしたことがある。どのアーカイブだったか覚えていない。Vtuberにしばしば訪れる、音声の不調や「虚空落ち」、手を振ることさえも満足にできないような事態に際し、アバタ―にはげますような声をかけていたと記憶している。
 危うさということに思いが馳せられるのは、こういった場面を見てきたからだろうか。それは、普段は意識されない癒着へと、周りが戸惑うほど無造作に触れようとする態度に由来する。

 

「でもカラオケ楽しいね。やっぱり知ってる人とかと行くと。
 やでも、美兎ちゃんとカラオケ行ける人って幸せじゃない?」
「え、どういうこと?」
「だってめっちゃ上手いから」
「ええ……なんですか、その、そういう……新手の……」
「ww新手の何www」
「新手の文句ぅ……」
「文句wwwww」
「ちょっと~」
「あ、でも……おんなじ高校とかだったら、放課後とか行ってたかもね」
「まあ確かにね」

 

 工事現場の三角コーンの向こうに見える水たまりに浮く桜の花びら、駐車場の隅にとめられた車の下からのぞく野良猫の顔、駅のホームから見下ろされる自転車が行き交う商店街のアーケード、傘を差したままバス待ちをしている人の列、遠くから小学校のチャイムが聞こえてくる、並木が影をつくる川沿いの土手道……。

    風は吹いているだろうか。

    はたして、頬にあたる髪の感触や、聞き覚えのある笑い声をそこへ置いてみるだけで、充分なのだろうか。
 私たちは未来の記憶を語ることはない。それなのに、聞こえてくるあなたの声に、何度でも同じ勘違いをしてしまう。
 

 ルドルフ・オットーによってかつて書かれた言葉。「一つの感情はそれと類似の感情を呼び起こすことができ、かつその類似の感情を同時に抱かせるのである。さらに、表象の場合、「引きつける」法則は類似していることにより表象の置き換えを来らせ、その結果、「乙」なる表象が適合しているにもかかわらず、「甲」なる表象を抱かせる……」*1

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 ヤマトイオリという人がいる。先日の雑談配信において、涙の味が感情によって変わるということをこの前知ったのだと、驚きとともに語っていた。嬉しいときの涙はあまりしょっぱくなくて、悲しいときの涙はしょっぱいのだという。嬉しい/悲しいという二分法につくことはできなくとも、受け取られる言葉は、また別の響きを帯びて聞こえてくる。

 Vtuberが配信中に泣いてしまうという出来事は既に起こっている。あまり配信を追うことができていない私にも、いくつか数えることができる。それは、PUBG最協決定戦の練習において自分の不甲斐なさに零された本間ひまわりの涙であり*3、同じアイドル部の神楽すずの3D化について話しながら、いつの間にか声を震わせていた夜桜たまの涙であり*4、配信中に登録者四万人を達成したことに気づき、その感慨のうちに泣きだしてしまう北上双葉の涙だった*5
 ここでは、視聴者にその涙を見ることはできない、ということだけが問題なのではないように感じられる。震える声に、「なかないで」「なかないで」というコメントが流れていく。その時、アバターは困ったように首を傾げ、不安そうな顔つきを見せている。けして言い当てられない涙のありかに、彼女自身が戸惑っている。
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(「かくして、場所なき国々があり、年譜なき歴史が存在する――」*6

 

 声とアバターがぴったりと重なることのない、こうした事態を目撃して、何を言うことができるだろう。約束した相手との待ち合わせに向かう見慣れた道さえ、枝にかかる雲にさえ、親密さが含まれていることはよく知られている。はなればなれでいる二人にとって、いったいどこからを出会いと呼ぶことができるのだろうか。
 赤井はあとの号泣について、私は多くを書くことはできない。リスナーに自分の声が届いていなかったことに気付いた後も、「聞こえてるよね?」と何度も確認しながら、涙声のまま「壺」こと、getting over itをプレイし続けるその姿に、そこまでしなくていいのに、たかがゲームなんだから、という思いが何度も浮かんでは消えた。たかがゲームなんだから、たかが配信なんだから。

 


 

   もし配信が切れてしまったら、真っ暗な宇宙の中で、本当に一人ぼっちになってしまうかのように。

 

「たとえば、「最初の人間たちは、その知性が個別のものに強く限定されていたため……顔の表情が変わるたびに、新しい顔が生じたと考えた」という。新しい感情が生じると前の古い感情はたちまち消えてなくなり、「新しい感情が起こるたびに、別の心臓と別の胸と別の精神が生まれたと考えた」そのためか、対象の知覚や認識も感情の有為転変に応じてとどまるところを知らず、表情がどのように変わっても顔は同じなのだと認知されることがない。別の感情が新たに起こったとしても心臓や胸や精神は同じものだと知覚されることがない。感情や表情の束の間の移ろい、現象の変わりゆく流れのなかで、ここではそもそも対象が自己同一性をそなえた存在として与えられていない。時間は瞬間のうちに空間は場所のうちにたちまち消えてなくなる。」(木前利秋『メタ構想力』(未来社))

 

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  バーチャルサナトリウムにある窓から見える景色を思い浮かべるとすれば、私自身の記憶や想像の入り混じるものとなることを避けがたく感じる。名取さなの誕生日配信でも触れられていたし、あるいは他のVtuberの配信でもしばしば言及されるように、配信中に流れるBGMの切れ目は、しばしば苦笑を誘うような事態として扱われる。

 BGMも配信者の声も聞こえない、静けさが不意に顔を出す(階下でドアを閉める音、冷蔵庫の震え)。その途端に、配信というものは、配信者だけではなくこちら側にも関わりがあるのだということに思いが向けられた。全ての配信者に配信者ではない夜があったし、これからもあるだろう。口元のマイクに向けて、声を出そうとするかつての自分に、今「なってみる」ことができる。

「ちゃんと聞こえていますか?」

 私とあなた、それぞれの心細さを同じものと感じることはできない。けれど、まったく別のものであると考えることもまた、難しいのではないだろうか。ヴィ―コに倣い、クリティカに先立ってトピカが存在するのだと考えること、「なだらかな連続面のなかに位置していて、ときに重なりときに互いに転じあいながら、それぞれの身を持している。」ような「○○らしきもの」の地点にとどまろうとすること。

 「お上手!」に語ることはできなくとも、こうして拾いあげることを許してほしい。イオリンが、リアルタイムではなくアーカイブで動画を見る視聴者に対して、毎回かける言葉がある。

 

「今アーカイブを見てるって方も、ありがとうございます。3月12日21時55分05秒のヤマトイオリからお礼を言います、ありがとうございます」

 

 言い終わる頃にはもう、告げられた時刻は過ぎ去っている。すでに届けられたこんな曖昧さにおいて、誰もが笑顔のまま、いつのまにか戸は開けられるだろう。

   十三万等分されたバースデーケーキを、想像の手から助け出そう。お互いの心細さが攪拌されるように……。接ぎ木された記憶へと急ごうとする足を止め、周りを見回せば、陽のあたたかさも、星の瞬きも、子供だましのような配信画面に結びつけられてある。

 

*1:ルドルフ・オットー『聖なるもの』(岩波文庫、山谷省吾訳)

*2:ヤマトイオリ「【おはなし】お話したかったぁぁぁっぁあああああ」https://youtu.be/hqdncOUuBjQ

*3:Kanae Channel「PUBG大会練習⇒BO4 にじさんじゲーマーズhttps://youtu.be/ttHfdpglUEY

*4:夜桜たま「【雑談】公園配信【アイドル部】」https://youtu.be/vZSfswPlbWA

*5:北上双葉「モノラルになったねんねこ放送」https://youtu.be/4dBZz-2AHaE

*6:ミシェル・フーコーユートピア的身体/ヘテロトピア』 水声社、佐藤嘉幸訳)

*7:さなちゃんねる「17才だよ?!さなちゃんまつり!」https://youtu.be/04-GugGkHxs